エ口スケと大きな<場>のメモ。消滅しても困らないとは思うのだけれど実際は?

*自分用メモ

 

>>"奨めず奨められもせず自分の嗜好だけで機嫌良く遊んでいくという姿勢の方が好ましく思える"

 

どういう文脈なのかは分からないんですが、それでも私はこの一文に結構共感できます。閉じたゆえの価値の跳ね上がりを知っているので

私の勝手なイメージなんですけど、ネットがない時代のいわゆる「オタク」の人がアクが強く個性が強いイメージがあるのって「閉じたゆえのオリジナルの発達」かねえとか

 

「共有」するゆえのエラーみたいな感じ。誰かとなにかを共有することは楽しいけれど、「共有が全て」になってしまうと主従関係が逆転してしまう。 自分の好きなエ口ゲ買いたい自分の嗜好にあったエ口ゲを買って楽しみたい→→→

いつしか「私の趣味ではないけれど◯☓さんがおすすめしているからやってみよう!」「話題になっているから」という理由で買っちゃうのは自分もある(良いとか悪いとかではなくねそういう事実があるなと)

でもそれって「作品をプレイして楽しむ」というよりは、まず先に「誰々さんと語りたい」とか「話題になっている作品で語りたい」といった____自分プレイ動機が「共有目的」になってこれはまずいなとは思う

私はね。 それってもうそう思っちゃった時点で、エ口ゲを楽しもうとしてるんじゃなくて「話す」ことに楽しみを置いているわけだから主従関係がひっくり返っている

ちょっと想像力をあげて考えてみると、たぶん 大きな<場>を用意しなくてもいいんじゃないの? という疑問に見える。 エ口ゲ的な目線でいうならエ口スケ必要あんの?みたいな

(読みが外れていても泣かない)

ふむ考えてみよう。ブログやSNSTwitterぐぐたす)などがある状態で(=個人個人が自分とマッチングした相手の情報を共有できる状態)で さらに大きな<場>というものが必要なのかどうか。 エ口ゲユーザーすべてを包括してしまえる<場>なんて必要あるんだろうか?

ロールモデルがいまいち想像できないけれど、現状でのモデルはエ口スケをたたき台にすればいいんですかね。 まず私にとってエ口スケあんま必要ないからなあ……うむむ

エ口スケが役立っているところは、大勢が利用していることによる 「自分嗜好の作品を探せる」「地雷を避けられる」「他者の感想を読める」「または自分の感想を多くの人に見てもらえる」くらい?

ようは全部「効率化」ねふむ

後者2つは効率化というより共有の側面が強いけれど、 でもエ口スケの「感想を読むページ」ってものっそい見にくいのでんー……という感じでもある。でも多人数が見てくれる場というものがいいのかもしれない

「自分嗜好の作品を効率よく探せる」というのは、良作品を数字的に判断できるのがいいんだろうか(POVはよく分からない) でもあらし(中央値や平均値の数字を恣意的にコントロール)の話を聞くと(その存在がなくても)参考程度に見てねみたいな

個人的にはエ口スケは消滅しても困らないなあという印象。

それとももっと魅力的な大きな<場>だったら考え方は変わるんだろうか。 個人個人が分断化されない <場>の設立……ね

んーと、自分の嗜好に合う人を10人くらい見つけてその人達の作品の満足度とか聞いているだけでも 結構満足しちゃうよなとか。満足という十分「有益な情報となりえる環境を個人で整えやすくなっている」と見てもいいかも SNSの発達や情報収集の発達により。

効率化という側面では大きな<場>はあったほうがいいかもしれない。(←購入するときは)でもなくても困らなさそう。(現にそんな困っていない)

・エ口ゲの感想共有 この点のエ口スケの役割って、「多くの人から読まれる環境」と「単エ口ゲの世間評価のストック」という面が強い気がする

ふむ蓄積はたしかに価値あるよな……