作品単体―外部物語。ノイズと違和感と釈然としなさ

中二病でも恋がしたい! 戀 (1) [Blu-ray]

 

“偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏:JBpress(日本ビジネスプレス)” http://t.co/EyCnR34ucs


今回音楽のアレの件で、「音楽」を聞いていたのではなくそれに付随するストーリーを見ていた。 ということが浮上。そしてこれはいろんなことにも言えることだともちろんギャルゲーにも

強引につなげてみるテスト

ギャルゲーというかアニメとかもで可です

Q「作品」を評価するにあたって、作品"以外"の要素をもって評価が変わるのであれば、それは「作品」を見ていることになるのだろうか?

「世間(大多数)がおすすめしている」「開発陣の裏話」「開発秘話」「作者のあとがき」「作者の人間性」「過去作品とを参照することの比較」「フォーマットの歴史的視点」 そういう「作品」とは一切関係ない視点で見ることで、作品の評価が変わる。変動する。

それで作品の本質的価値が変わるんだろうか? それの価値は元々そこにあるものだし何かを知ったからって変わるわけじゃないんじゃないだろうか

もし変わるのであれば、外部情報をもって作品の価値が変動するというのであれば、それは裏切りみたいじゃないか

マイナス方向に価値が下がるにしても、プラス方向に価値が上がるとしても____結局のところ「作品」なんて見ていなかったということじゃないか?

もうちょい言語化したいけど、むずい

自分の違和感と釈然しない気持ちは、あと一歩くらいで説明できそう……だけれど、もうちょっと時間がかかりそうな気も

→俯瞰高度のお話(内側楽しいよ!)
→声優に興味がなくなっ(主従関係の逆転の違和感)
→アニメ監督の人間性に言及するry(ありのままを見ようよ)
→作品を考察することはry(無知の知
→内在視点で見るってこと(物語を閉じることでの価値の増大)

 

 といろいろな形で、自分が感じる作品とそれに付随する情報への違和感を書いてきたんですが、もうちょい……だと思うんですよね

単純にこれを好悪で片付けてもいいんですが、(2ヶ月前はそれで片付けてました) もうちょっとどこかへ行きそうな問いだと思うので煮詰めていきたいなと

私の中にあるはじめの感情が、「作品以外の要素を持ってきてもどこにも行けない」ってのがあるんですね。 このどこにも行けないというのは、作品の本質に迫ることは不可能であるということです。 少なくとも個人的には 「楽しめる要素」ならば、作品外へに手を付けることはとてもいい方法だと

思います。 ただ「評価」「本質(とても曖昧なワード)」をつけたり見つけたりするときには、ノイズに

自分の中にある違和感の情動 →作品外の情報はノイズ。(楽しむ観点ならばアリアリ。けれど評価には一切考慮しない本質にも考慮しない) →作品外の情報を"知った"ところで、どこにも(=本質)に行きつけない勘 これがただ感じている違和感。 そしてこれはただそう思ったの領域でしか

ないので「理由」がない。なのであともうちょいでうまく説明できそうな気がするなと

とりあえず保留案件です

今回の偽ベートーヴェン騒ぎで、この「作品単体」―「作品外情報」について考えるエントリー爆発的に増えたので、読み漁れヒント得られるかもなーと

“作品ではなく物語を賞味・鑑賞することの是非 - 発声練習” http://t.co/oWbG6M6jMU

 

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極端な思考は、やりすぎると破滅に向かうしかないって分かっているのですが、一旦振りきってみたいなとも。

メモ)「楽しい」を追求することは、いろいろな要素に手を広げていく+シームレスに行き来できることが重要かもしれません。

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VOICE 【通常盤】

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