コメントの返信について

 

 

まどか記事と関係ないコメントだったので、こちらの記事にて返信しますね。

(できれば今度からは、記事に関係ないコメントはご遠慮ください。もしまたなにか私に直接のお話があれば、こちらのブログにお願いします)

それでは私なんかでよければ、コメントの返信をさせてもらいます。

 

 (id:manazu-pokemon)  

えっと。最近覗いていなかったのですが。 まなじゅです。お久しぶりです。

私は小6なのですが、男子だけで遊んでいるところに「入れて~」と入っていく女子が3人ほどいたんです。私は、本当は遊びたかったのですが、周りを気にして入ることが出来なかったので、うらやましかったんです。
それを友達にいうと、周りの目を気にしないで生きている子は社会に出たら苦労するって言ったのですが、本当なのでしょうか? 意見を聞かせていただきたいです。

 

 

お友達が言われた「周りの目を気にしないで生きている子は社会に出たら苦労する」というのは合っていると思います。

たしかに。この社会は、「周りの目」を気にしないで、自分の思いのままに、自分がしたいように行動していれば、大きな反発を喰らいます。それがいくら自分が正しいと思っても、間違っていないと思っても、「周り」という大多数の人にけちょんけちょんにされちゃうんだと私は思うんですね。

 

例えば、今回のことでいえば、「男子だけで遊んでいるところに女の子が入っていく」このこと自体は、間違っているとか悪いとかそうは思いません。

しかし、クラスの中に場を仕切る中心的な女の子がいたとします。サル山の大将のごとく周りを支配することに長けた、リーダー格の子がいたとします。

 

そのリーダー格の女の子が「男子と遊ぶなんてオカシいよ」と言ったとします。すると、彼女のの影響で、他の女の子たちも「……そうだよねおかしいかもね」と同意する人たちが出るでしょう。

 

本来、「男子と女子が遊ぶこと」は何もおかしくはないのに、このように「学校のクラス」という狭い世界の中では「おかしい」ことになってしまうんですね。

 

そんなクラスの女の子たちが「おかしい」としているものに、一人だけ、例えばまなじゅさんが「男子と遊ぶ」ことにしたとします。クラスの女の子たち(=大多数の人間)が、陰険であればあるほど、陰口を言われたり、もしくは学校という狭い世界からハブにされてしまうかもしれません。(←これは最悪のケースなので、なにも全部がそうなるいうことではないです)

 

もしこのとき、まなじゅさんが ”周りの目" を気にしていれば、そういったクラスの女の子たちとの軋轢は生まれなかったはずです。

そういった意味で、「周りの目を気にしないで生きている子は社会に出たら苦労する」というのは正しいとも言えます。

 

ただし、ここからが本題です。

 

周りの目を気にし過ぎ」て学校生活を送ると、とーってもつまらない日常が待っているんですね。

「男子がこう言うから」「女子がこういう目を向けてくるから」「誰々ちゃんが」「誰々君が……」と、いちいち、周りの目を気にしていては、

 

自分が好きなこと、本当にやりたいこと、楽しいことを ”行え" なくなってしまいます。 例えば今回のように、 ”周りの目を気にして" 本当は男の子と遊びたかったのに  ”遊べなかった" 。ということになってしまいます。

これが一回や二回ならいいんです。けれど ”周りの目を気にしすぎる" というのは、自分が本当にやりたいことを、何度も、何度も 「我慢」しなくてはいけなくなるんですね。

 

これは簡単に想像できると思います。我慢だらけの日常生活が、楽しいとは私は思えません。け れ ど も、周りの目を気にしなさ ”過ぎる"  というのも、日常生活に軋轢を生む可能性があります。

どうすればいいか? 明確な答えはありませんが、こういう指標は考えの手助けになると思います。

 

2つのうちどちらがいいか? ではダメなんです。

「周りの目を気にする」のと、「周りの目をきにしないで自分が好きなようにやる」という2つのうち、1つを選ぶ――――のではなく! そうではなく!

 

どっちも大切なんですね。2つのうち1つを決めるやり方より、

 

「2つとも大事なのだから、その時、その瞬間でどちらを優先するかをその都度決断していく」

 

という方法が私はいいかな? って思います。これは「中庸」的意見ですね。

 

A――中庸――B

 

という構図です。Aの意見を貫く、Bの意見を貫くのではなくて、中庸です。時と場合によって、どちらにも傾く、どちらに傾くかを自分で決めていく。そういう姿勢が一番いいかな? とは思います。(←ただしもちろん鵜呑みはダメです。私が間違っているかもしれない、ということも考慮してください)

 

今回のことを例に取り上げてみます。

 

男の子が遊んでいるところで、私も混ざって遊びたい!

……でも周りの目が気になってしまう。

 

「自分がやりたいこと」と「軋轢をうまない安定した日常の継続」

 

この2つが天秤に乗っている状態です。

どちらのメリットも、どちらのデメリットも、リスクも考えてみます。

 

・男子と遊ぶことで、私は本当に好きな時間を送ることができる(メリット)
・けれど、彼らと遊ぶことで変な視線、陰口を言われる可能性もある(デメリット)

でも、私のクラスはおおむね平和なので、今、この時、男子と遊んだところで、私の日常は崩壊することはないだろう。もしかしたら、周りの友達は、おかしな目線を向けてくるかもしれないが、気にしないことにする。→男子と遊んで、楽しい時間を謳歌する!

 

もしくは、

 

私のクラスは、男子と女子の派閥ができており、かつ女子グループにいるリーダー格のXちゃんという子は、「男子と遊ぶなんておかしいよねーほんと」と息巻いている。彼女の意見を無視すれば、自ずと私の学校生活は危うくなってしまうかもしれない?……。 それは嫌だな……。→男子と遊ぶことを諦めて、学校の日常生活を守る。  

 

 

こんな所でしょうか。

 

まとめてみます。

 

「周りの目を気にする」ことは大事です。けれど同じくらいに「周りの目を気にしない」というのも大事です。

どちらか「1つ」の意見を絶対視するのではなく、ケースバイケースでどちらの意見を採用していくか自分で ”考えて" 決めていく。ことが大切かなと私は思います。