ノベルゲームをアニメにすること

 

リトルバスターズ! ~Refrain~1(初回生産限定版) [Blu-ray]

 

 

 

 ホワルバ2とリフレインには"ノベルゲームアニメ化"の可能性を、個人的に託してる。どちらも歴史的傑作だからね。アニメとノベルゲームの両方の媒体に強いこだわりを持つ自分としてはここは期待したいのよ。 ほんとこの2作が同時期にやるってのが感慨深いんですな〜

 

>>ちょっと考えてみる。

 

リトバス(原作)は最高だなー」でも、それは”ノベルゲーム"だから最高なわけで、それをアニメでやる必要があるかと言えば疑問が出てしまう

いや言い方がちょっと……違うな。

 

私的に主媒体のものを、別媒体で繰り広げるときに、いつも____思うのが、期待してしまうのは 「これは原作”以上"のものになってくれるだろうか?」と

 

んーとね、リトバス原作は最高だよね! でもそれはノベルゲームだからこそ、「最高」な可能性を否めないという話。 アニメになったら、その「最高」を超えることは最早不可能なのかもしれない? そういう不安

 

二つ……障害があると思う。
1、一回性をすでに原作で奪われている
2、経験則

 

 

1、一回性 これはすでに「最高の体験(一回目)」を原作で終えているということ。 原作(=一回目)のあとに、アニメ(=二回目)を見ても感動はやっぱり一回目より落ちてしまうということ。 このせいで「的確な」評価が出来ないこともつながっているかなって

 

2、経験則 先の「一回性」の話と通じるのだけど、原作→アニメと見ている人(私とか)はどうしても「原作が最高」となってしまう。 AIR、CLANNADのアニメを見て、非常に素晴らしい出来だよ! でもね、原作をやった私からすれば原作以上のものではなかった、となってしまう

 

kanonがないのは、アニメはもうあれ別物です……から……

 

AIRやCLANNADの出来でも、「私的な原作体験」を超えられなかった。 となると、主媒体から別媒体へある「作品」が繰り広げられるとき、 それはもう……なんていうか、期待しちゃ……ダメなのかなーなんていう諦観がちょっと生まれてきてる

 

あと個人的な観測として、CLANNADをアニメから入り、視聴終了した上で原作(ゲーム)のCLANNADに手を出した人に「どうだった?」ときくと、「んー……アニメよりゲームのほうが良かった」という答えを聞いて、 こういう場合もあるなーと

 

サンプル数がたったの1 なので参考にもならないですけど、私的に「原作」は名作であればあるほど、一回性すらも超越してしまうんじゃね? という

 

「原作」はぎりぎり追いつくことができるかもしれないけど、”乗り越え"るのは「一回性」の問題と「アニメという媒体」の問題で 無理じゃないのかな? と思うのですね

 

アニメという媒体というのは、アニメだからこそできることと出来ないこと。その可能性と限界を指してます。

 

ノベルゲームと、アニメは、全然別物だからこそ、どちらとも面白さがある。 けど、原作ノベルゲームを→→アニメにするとなんか難しねーって

 

ノベルゲームの独特の体感時間、感情移入度の振り幅は、アニメじゃ無理だと思うんですよね…………これはもう性質的に。

 

逆にアニメの情報量の多さとか、”見せる"という意味ではノベルゲームでは無理……かな?

 

 

 

「原作」だから乗り越えられない____ではなく「名作な原作」だから乗り越えられないのでは? という想いが

 

 

これはノベルゲームだけじゃなくて、ラノベ→アニメ化するときも一緒だったりします。(私的に) なんでかっていうと、ラノベは挿絵があるけれど、「セカイ」を自分で創造します。時には文字という1情報からそれを100に。 この仮定で「個人個人」の”理想"が生まれるんですね

 

声、振る舞い、匂い、形、表情―――すべてを自分で創造するからこそ、そのセカイは自分の「理想」となりえる。 その理想を持って、アニメを見ると「理想とは違う」となる

 

見えないもののほうが、信じられる。形がないもののほうが万人が万という理想を生み出せる。 完璧な存在となってしまったその「セカイ」は、アニメとはやっぱり別物なので。 だから齟齬がうまれて「原作のラノベのほうがいい」となる場合が私的に多いです

 

例えば「とらドラ!」とか。

 

あとなんだろう……。「僕は友達が少ない」とか(これ1話の5分で切っちゃったなあ……)

 

あと「ココロコネクト」も。大好きな物語だけど、アニメはやっぱりダメでした

 

いやラノベを”まず"読んだものは、全部それですね……パパ聞きも

 

ロウきゅーぶ!」なんかは、挿絵と違う女の子をじぶんでキャラデザインして脳内でぐりぐり動かしていたりとか……(小説は自由度高い!)

 

そこまで「好き!」という物語ではないのならば、アニメ化しようと楽しくみれちゃうんですけど。 好きで大切なものと”なってしまってる"物語は、ちょっと難しいですよね……。

最後まで見ても、どんなに良い所があっても、最後には 「アニメより原作のほうがいいよ!」となってしまうのです

 

別媒体へと移行した作品は、もうその時点で、原作の同一性が失われてしまうんじゃないのですかね?

 

名前は一緒だし、見た目も似ているけど、中身は別じゃん!って

 

これはアニメでやる意味がないとか、そういう話ではなくて____私的に「期待しないで見たほうがいいのかもしれないだって別物だから」と

 

(脱線)アニメ版のkanonは、それはそれでいい終わり方だったんですけど けどあれはもう「kanon」じゃないよ(愚痴)

 

月宮あゆが―――にするからこそ、その本質がある……のに……と

はいはいやめやめー

 

原作→アニメの面白みの話。 これはもしかしたら過去の再構築なのでは? と。 自身の記憶を振り替えつつ、アニメで補填し補強し強度を保ちながら再構成されていく感覚はもしかして快感かも?

 

いやこれも障害の部類? 過去(圧縮体験)を今(現在進行形の体験)とどちらが密で魅力的かっていうとそりゃだいたい過去なので。たまにそれを”乗り越えて"くれるとき一回性を味わうのですね

 

あとね思ったんですけど、単純に「時間の積み重ね」でハンデがつきすぎなんですアニメ。 CLANNADやfateは「80時間」とかふつーうにかかります。その分思いれが段違いだし、愛着も湧いちゃうのです。 アニメは50話でも25時間なので、ここは大きいんじゃないのかなーって

 

うん個人的な結論が固まってきた。 「原作から派生したアニメを比べちゃだめだよね。だってもう別物だし超えることなんて不可能なのだから。 だから”比較"することはその時点で愚痴になってしまうのよさ。悪いとは言わないけど、”別物"”別作品"として見たほうが良いんじゃない?」

 

 

 

リトルバスターズ! Converted Edition

君とのなくしもの / 涙色の翼