太極の両義と運命―――

「運命が君の親を選ぶ 君の友人は君が選ぶ」サウンドトラック

 

太極の両義。太極は両義に別れた。両義には二つの枢軸がある。 殻? 

 

いーくんがさ、「ねえ、自分のことをさ、こうじーっと観ている感覚って分かる?」 と言っていたんだけどさ、逆に 自分の躰の中から自分を見つめている感覚というんだろうか

 

自分の内側から、自分の躰の輪郭をなぞっていく。境界線を黒色。押してもびくともしなく、硬い。 それは……

自分の内側から自分を"観る” 自分の外側から自分を"観る” 本質的には意味は同じ。 両義?両義……両義。

私が思ったのが、まずどちらとも共通するのが「現実に希薄」になっているってことです。 この感覚を常時、日常で感じてしまう場合は私的にけっこー危ないです。

危ないというのは危険とかそういう意味ではなく、実存退廃者になっちゃうんじゃないのかな

もしこの2つの違いがあるとすれば、前者は閉じ込められている。後者は乖離している―――そんな感じなのかも

 

運命は君の親を選ぶ。
けれど、君は君の友人を選ぶ。
私は私の友人を選ぶ

 

『運命が君の親を選ぶ 君の友人は君が選ぶ』 を終わったあと、さっきの感覚を覚えた。なんていうか、なんていうんだろう

私は私の友人を選べる。
これは……実はすごいことなんじゃないのかな?

世界はけっこーすごいことで、神秘で、きらきらしていていたり。するんじゃないのかな

 

運命―――というのは、小さい頃はやたら口に出していた気がする。 つまり、けっこー気にしていた気がする。 年齢を重ねる事に、そんな思いは無くなって、運命とかもう概念自体が薄れていたのだけれど

 

「運命」は、なんというか呪いなんだよ。言葉の呪いみたいな。 占いがあんまり好きじゃないのは、きっとこのせい

 

けれど占いは奥が深い。いろいろ調べてみたいかも? うんうん! 道端に転がっていた―――いや朝のワイドショーで流れている占いも実は見方を変えるだけで、ワクワクドキドキしたものがある

 

 

「運命が君の親を選ぶ 君の友人は君が選ぶ」サウンドトラック

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