実体でしか見れないとは、どういうこと

ギャングスタ・リパブリカ オリジナルサウンドトラック

 

なにかを「視る」ときに、大事なのは、実体よりもイデアや、メタファーに置き換えられる本質を視ることなんじゃないかなあと『ギャングスタ・リパブリカ』終わったあとに思いました

 

だってこの作品、そこにある「実体=構造、仕組み」が大事なんじゃなくて、 その中にある「イデア」なのですよ

物語はいつだって、なんだってこっちのほうが大事な場合が多いです。 『Ever17』は違いますねあれ対極です

輪るピングドラム』もまさしく、"中身”が大事で構造やクリスタルの裏側とか別段大事じゃない

あと『CARNIVAL』もそうですね。 あれもあれの"中身”に自分なりに気づけないとなんか意味ないなあとは思います

 

不幸なお話だったね―――で片付けちゃうのは、表面的な読み方だなあと。 そうじゃないよねと

ラストシーンでなんで彼はあんなことを言ったのか、とか。 彼が間違っちゃったときに、どうして彼女は微笑んでいたのかとか―――そういうのを自分で自分なりに自分の為に「見つ」けたほうが楽しいっすよ

 

そこに「実体=構造・展開・仕組み」を持ちだしてきて、語るのは、それが終わってからなのでは? と最近思うのです

なんでそんなこと思うのかというと、だって物語を見ているときに「実体」のことにいちいち頭悩ますんです? 違いますよね。

 

感情があって、それが面白い!とか楽しい!とか、いろいろなことに思いを馳せているのに どうして、実体について"まず”語ろうとするのかよくわからないなあと

いろいろなこと(=観念)です

 

 

感情移入ができないとエロゲはつまらないよ―――というのはそういうことです。 だってその人は、「実体」でしか物語を見ていないんじゃないのかなって。 だとしたら一体それは何が楽しいんだろう

エロゲじゃなくてアニメでも小説でもなんでもいいのですが