同族嫌悪と自己嫌い

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

同族嫌悪について意見をもらったんだけど、 相手を嫌っているところが、実は自分の嫌っているところ っていう意見を貰ったんだけど、これは違うだろう

なんていうんだろ。 相手の嫌いなところを、自分に投影することなんてないでしょ? あるの? そんなこと

私は4世紀半生きてきたわけだけど、無いよそんなこと

「相手の嫌いなところが、実は自分の嫌いなところだった?」 なんだろうそれ、そんなことがありえるのか?

大勢の人はそんなことを感じるのだろうか? 私はもう全然分からなくて、なんだこれそれが「同族嫌悪の本当の意味」とか言われてもさっぱりだよ

まだ「辞書で言われている同族嫌悪」の意味のほうがしっくりくる。

世間で言われている"同族嫌悪”の意味が「相手の嫌いなところが、実は自分の嫌いなところだった」 いやもう、なにこれ。ほんとうによくわからんぞ……

ん? というかこれあれじゃない。根本的に意味いっしょじゃない

ちょっとざっくりとした考えを置いておこう

いやあ……なんだろ、そんなに大勢の人は自分が嫌いなのか? としか思えない

「相手の嫌いなところが、実は自分の嫌いなところだった」 「自分と同じ(似た)人を嫌ってしまう」 は結局のところ最後は「自分(全てか一部)が嫌い」ということになっちゃうのではないか?

で、私がよくわかんないそんなことってありえるの? っていうのは「自分が嫌いなの?」という意見に集約されている。 自分が嫌いという考えが、私には無い。

人にはわざわざ言うことではない欠点、内面の汚さ。そういうのだって嫌いではない。嫌いとは思えない。 ただそれはそこにあるだけで、嫌悪するべきことなのか?

んあーそうか古雅ゆとりはこれを突き詰めた結果がするな……

 

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)