エ口ゲである必要性とは

Quartett! 初回版

 

 

 

 エ口ゲである必要というのは、どういうものなのか考えてみる。

 

1、それが「エ口ゲ」になった時点で、「エ口ゲ」である必要があった。
2,他媒体でできない表現ができるのなら、「エ口ゲ」である必要は十分にある。

補足)つまり、BGM、歌、文章、絵、演出、ムービー、ボイス、これらを再現できるのはいわゆる「ノベルゲー」のくくりでしかないと思われる

映画でも小説でもアニメでも不可能な表現ができるからこそ、「エ口ゲ」である必要がある

「エ口ゲでいわゆるシナリオげーって、他でもありますよね」というものを見かけたが、(主旨とは違うのかな?)、あれは「エ口ゲ」でやる必要がある良シナリオだからこそエ口ゲでやる意義があると私は考える

ってこれ前にも語ったな……あーとこれですね。

 

過去記事】高坂桐乃は女の子なのに、なぜ「エ口ゲー」をあんなにも愛しているのか?! (1698文字) http://t.co/3fHA7NctEV

 

他媒体ではできないからこそ、エ口ゲでやる意味があるのでは? 価値が意義があるのではないか?

ラノベからアニメ化するのも、「アニメでできることがある」からアニメ化する。(実際は裏面もあるが、読者的にはそんなものどうでもいい)

 

んと前提として、私はエ口ゲというのはノベルゲーにエ口が付属したものに過ぎないよねとして見ています。

「ノベルゲー」にノベルゲーらしくない!っていうものなんだか変だなあと思うのと同時に、「エ口ゲ」にエ口ゲらしくない!というのもなんか変かもなーと。 映画に映画らしくない!や小説が小説らしくない! なんて言わないかなと。

もしそういう作品に出会ったとき、その媒体で「新たな境地・もしくは表現方法」に辿り着いたという言い方をするかなと

Quartet!だって、「マンガでやれ」なんて言いませんし、むしろ「エ口ゲでこれをやるなんてすごい!」という思いを抱くのではと。

 

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リトルウィッチ (2004-04-23)