その人の固有性を感じられるからこそ、ブログは面白い?

風立ちぬ サウンドトラック

この記事をみて、固有性とブログについて考えていきます。

『風立ちぬ』から『滅びの風』まで。宮崎駿永野護栗本薫らのエロスとタナトス。(7464文字) dlvr.it/3qYG9c

 

"つまり、世間のあらゆる作品や出来事が、海燕の目から見るとどう見えるのかという情報を得るために読んでいる方々がほとんどだと思うのです。” (海燕さん)


誰かの「視点」で物事を見れることは、面白いと―――多くの人は気づいているはず。だから、今若干?ブログブームが流行っているんじゃないのかなーと思うのです

そして、この視点が自身と「違えば」ちがうほど、物事の本質の的を射るほど 凄い! おもしろい! と感じるはず。

 

NEVERまとめとブログを比べると、ここの「人の固有性」があるかないかが両者を分けるのでは? 前者はただの情報にしか見えないけれど、後者は「人の存在」を感じ取れる

情報の羅列・まとめたものに価値がないなんて言いませんが、そこに筆者の「視点」・「思考の結果」を付与させるとより「面白く凄い!」情報になるんじゃないのかなーと

さいきん思うのですが、NEVERまとめ系の「情報のまとめ」は、もうただの"情報”にしか思えないなーと。それは消費する為だけの情報みたいな。 為になることや役立つことはあるのですが、なんかこう「わくわくどきどき」感がないよね?

 

たいして、ブログ(=管理人さんの思考の結果)は、「こんなこと考えているんだ!」とか「こういう視点で物語を視るのは面白いねえ」とワクワクドキドキ感があって面白いです。

どっちも用途……が違うので、良いとか悪いとかじゃないんですが、個人的には人の固有性を感じられるものが好きです

人の固有性とはなにか? それは経験と知識を練って練りまくった思考の深度の現れなんじゃないでしょうか。 思考の深さ。それがその人が「オリジナル」だと感じられる要素。とくにネットではそれが顕著です。

あと個人的には、思考の深さに「感情」という要素を合わせたいです。 感情があってはじめて、思考の価値が生まれるんじゃないのかなと。

好き、嫌い、綺麗、おもしろい、楽しい、うざい、気持ち悪い―――そういった感情の起点が思考の深さと合わさることで「視点」が生まれるのではないのかなと

 

感想が面白いのって、そこにあると思うんですよね。 その人の感情、感じたこと、想ったことを書き綴ったものなので

 

風立ちぬビジュアルガイド (アニメ関係単行本)

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