常識が欠けるのは、学歴というより「自己内省」が足りないのではないか?

青年期の友人関係と自己―現代青年の友人認知と自己の発達

 

 ねえ、これはほんとうに学歴で「切り分け」られるものなんだろうか____ / “低学歴と高学歴の世界の溝” http://t.co/1bZeEFLNOg

 

この記事をみて、あるヒトにツイートした内容。

 

 学歴―――たしかにそういう要素もあるのかもしれませんが、私個人が感じたことは、自己内省の要素で語る切り口もありかなと思いました。学歴とそこは切っても切り離せないといわれればそうかも?……

そうですね。親の教育は多大であり呪いです。「はじめて」だからこそその影響は大きいなと感じます。ただ、それをなんとかしてくれるのも自己内省かなと思います。自分を見つけて、考えて、一人になって―――そういう経験は「視点」を大量に作ることになるのではないかと。

 1つの視点だけ物事を見るから、客観性を損なったり、自己中心的になったり、視野狭窄になってしまうんじゃないかなと思いました

何かのツールを介してやってみる、というのがいいのかも? といっても私の皮膚感覚だけなので確証も実証も根拠もないですが。 本を読む、一人で旅をする、美術館賞、などは効果あるかもなーなんて一人で思っています

 

 

自己内省

あとは大勢に「理解されないもの」を持っているひとは、一人でに、勝手に、自動的に自己内省化の道を歩み始める気がします。 こういう人って思考の深度が深かったり、表現したいことが煌めいていたりするような気がします。

高校生にもなってダックレースを本気で楽しんだり、一学期終了日に虫あみと虫カゴを学校に持ってきたり。大人になっても探検や、秘密基地づくりが大好きだったり、ミニ四駆、ドール、仏像……などなど

これってなんでかっていうと、「孤独」になりやすいんですよね。悪い意味と良い意味どちらもです。大勢に理解されないというのは、つまるところ「大勢の輪に入りにくい」ということですから。

そして何故理解されないんだろう? なぜダメなんだろう? と「自分で思考」する時間が増えるせいかなーと

うん大体自己内省まとまってきた

 

青年期の友人関係と自己―現代青年の友人認知と自己の発達

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