シナリオゲーと理解と単純化

G線上の魔王 サウンドドラマ ~償いの章~ 第二巻


先日シナリオゲーってなんだろうね? という話題がでて、

「シナリオゲーって分けるのはなんとも思わない」私や
「そもそも分けられるのが好まない」人を見受けたのでこれについて考えてみます


そもそもなぜ「分け」る?

 

これは単純に、「単純化」したいからだと思う。

「エ口ゲー」といったって、様々な作品がある。けれどあえてエ口ゲーとくくる。そしてエ口ゲーの中にも様々なジャンルで切り分けられている。

切り分けるのは、簡単に理解しやすいためだと私は思う。シナリオゲー・キャラゲー・萌えゲー・鬱ゲー・哲学ゲー………………etc

 

じっさいのところこのジャンルに属している作品たちは、その「本質」の何割くらいしか言い表していない。だって「単純化」した結果だから

本質さえも切り分けられ、枝葉の部分は刈り取られてしまった結果。希釈されてしまった結果が「ジャンルで分ける」ということなんだろう。 私はこれに嫌悪感や好きとか悪いとかは思わない。

だってそもそもエ口ゲーに限らず、いろいろなものを「単純化」し、言い表して暮らしている。ジャンル分け、単純化―――は、日常のような行為にすら思える

今つかっている「言葉」だってそもそも単純化した結果だし、概念すらも自分が「理解できる」ためにパッケージングしたもの。 だから「◯◯ゲー」と切り分けられるのは別にいいかなとは思う。ただ蔑称はのぞきたいですかね

G線上の魔王 サウンドドラマ ~償いの章~ 第一巻

G線上の魔王 サウンドドラマ ~償いの章~ 第一巻

 

そういえば「点数をつける」ことも単純化。これも嫌いな人がいる気がする。◯点だからってその作品は言い表せない

けれど「一発」で「簡単」に「どの程度」のものかは分かる。その人が◯点をつけることを加味して、その作品が「どの程度」のものなのか"推測・理解”できる。

ある作品を1単語で表しても、それは全然伝わらない。本質がその1単語に凝縮されたとしても、本質を構成していた枝葉を切り取って、剥ぎとってしまったのだから伝わるわけがない。

輪るピングドラムとかはその傾向が強い気がする。 ある人はこの作品を、1単語で表してみたが、やっぱりこれは大事なものをぼろぼろとこぼしてしますよねと語った。

たしかに。本質はそれだけど、言葉にしてみると「全然違う」という印象を受ける。これは枝葉から根幹まで大事だったんだということが理解できるきがする

輪るピングドラム 中

輪るピングドラム 中

 

輪るピングドラムは"輪るピングドラム”だったんだよ―――としか言いたくなくなる


1話から23話(?)まですべてが大事で、すべてがそこにあった。構成すべきものの量は膨大で、生成した情報は多大だった。

んとまとまらない。 単純化は嫌悪すべきものではない。ジャンル区分けや、小さな容器に押し込めるのは理解をはやめるためなのだから。(蔑称のぞく)

けれど、単純化するということは、大事なものをかなりそぎ落としてしまっていることを頭に留めておくべき。

 

G線上の魔王 オリジナルサウンドコレクション

G線上の魔王 オリジナルサウンドコレクション

輪るピングドラム キャラクターソングアルバム

輪るピングドラム キャラクターソングアルバム